top of page

イエスの父ザカリアと、イエスの名が世間に知れるのが遅かったわけ

  • yamato-567
  • 2021年3月16日
  • 読了時間: 2分

ユダヤの祭司の方たちが、自己保身のために、ローマの支配に迎合するなかで、ザカリアは、迎合を拒み続けていました。 そのため、命を狙われ続けていたのです。 そんな事情の中、年老いたヨセフに、マリアを養女にするように頼みましたのは、マリアと、その子イエスの命を守るためでありました。 また、ナザレは、その隠し場所としては最適で、ローマ側からみますと、まさか、元祭司長が、失礼ながら、我が子を隠す場所に選ぶような所ではありませんでした。 そのナザレは、貧しさゆえに、憎しみを集めて、革命運動をするグループや、祭司への不満や、暮らしの苦しみから救うというメシヤが、あちこちに現れました。 そしてイエスも、そのような方々からは、お前も、教祖や、我々が崇拝する神に忠誠を誓うならば、夢は叶い、望むものが手には入ると、いわれてきたのかも知れません。 ところが、彼らが崇拝する神は、イエスの人生で、一度たりとも、イエスの命を生かしたものではありません。 神の一つ一つの御言の真意とは、あちこちの救い主と名乗る教祖が、想像で造作して語る空手形の約束の言葉ではなく、契約も無しの無条件でありながら、実際に、私たちの心の臓を動かし、呼吸や消化や、思考や運動を可能にしている実際のはたらきです。 そう言う事を実感しているイエスにとりまして、数ある団体がありましても、立ち去るしかなかったのです。 それが、イエスの伝道が、遅れた理由の一つだと察しています。



Comments


記事: Blog2_Post

Subscribe Form

Thanks for submitting!

©2020 by 日本(大和)。Wix.com で作成されました。

bottom of page