イエスが生きて子孫を残し、その子孫が、日本の西海岸にたどり着いた経緯
- yamato-567
- 2021年2月27日
- 読了時間: 1分
三韓屋敷跡地の河内船津厳島神社は、実家と畑の中間地にあります。 三韓の元が、元々多くの小国でありましたのは、聖書や各地の古伝に、大陸の東の端の地の、さらに悪魔の海を渡った洪水伝説の島を目指せという事が記されていたため、各地の祖先の言葉を信じた人たちが行動を起こし、半島まではたどり着いてはみたものの、悪魔の海(東シナ海、日本海)を渡る術がなく、立ち往生をしていたためです。 私の祖先が、その三韓以前の小国と外交が持てましたのは、その小国の土地に先住していたからです。 その中でも、辰韓(太秦の避難民が建国)に紛れていましたのは、イエスの子孫でした。 ですから、少なくともイエスの子孫は、白人系ではないと申しあげているのです。 写真の漁船団の後ろの小さな山が、河内船津厳島神社で、三韓屋敷跡地です。 田舎の持ち回りですが、祖父も父も宮総代を勤めていました。 船団に乗り込み、潮風を受け、そのワクワクが止まらなかった、少年の日の記憶があります。 祖先は、この船団で、半島へ渡っていたのだと思います。 今のところ、世界で最も古い、大航海を証明するものは、6000年前の、熊本宇土の曾畑櫛目紋土器です。 韓半島だけでなく、沖縄でも、運ばれた形で遺っています。

Comments