一般作物の栽培では収益があがらないアフガニスタンでは、大麻栽培を握ったものが統治権を握るようにみえます。 ところで、日本語での国の発声は狗奴(求麻)の訛りで、衣食住が賄える狗奴(ドングリ)の木を生活の柱とした縄文人の血でもあります。 その縄文時代から栽培されていた麻は、生活必需品であり、神道そのものでした。 縄の編み目は、神との会話であり契りでした。 祖父は、一般的なマオランから縄目を編んでいましたが、そういう光景は、縄文時代からあったのだと思います。 4000年前に漢字を発明したとされる蒼頡も、縄文字に習ったものでした。 それで、縄文時代という表現は近代の表現ですけれど、私たち日本人のアイデンティティがそこにあります。 その求麻、狗奴(国)は、大陸ではクルと発声されます。 そのクル族の痕跡は、古代世界の巨石文明の遺跡と共に私たちの目に止まります。 なぜクルという神との会話の手段が必要だったのかは、神を偶像として捉える事ができないからです。 日本人が、山にも海にも木にも風にも花にも道具にも、神が宿ると認識していますのは、神はこれだと限定(偶像化)できないから、在りて在る(アルラ)で全てなわけです。 写真は、熊本の蘇陽(ヤマト町)の幣立神宮の有名な神代文字の石板ですが、アラビア語にも似てて不思議です。 求麻(球磨=神代文字の出所)に習って、麻の生産を広めようという事ですが、それはそのまま、神道を広めようという事でもあったわけです。

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