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アマビエの忠告。

  • yamato-567
  • 2020年10月24日
  • 読了時間: 2分

今年は、はからずも、天日枝(天孫)が全国に知られたわけですが、日枝は、稗田阿礼という不思議な存在でもあります。 なぜ日枝と稗田が繋がっているのかと申しますと、天日枝は、人身生け贄の事であり、その真実を知っていた中臣氏の祖先の地(藤肥州)が、天日枝の元の熊本の海だからです。 舎人の稗田阿礼の一人は、その中臣氏の末裔だと思われます。 天日枝の神事をしていた神社が、古代烏土の宮であり、藤原保則によって、近津鹿嶋神社となりました。 神社の横の海が鰐洞で、烏羽と蝶貝装束の、日枝(生け贄)が立った場所が、坂口のプロフィール写真の所です。 アマビエが流行になって載せているものではなく、FBを始めた頃から載せているものです。 ですから、稗田阿礼は、今は不明となった古代の書物を、古事記編纂のために暗唱する以前に、その意味するところを、口伝により知っていたのだと思われます。 江戸時代、熊本の田舎での出来事が、江戸で大騒動になりましたのは、アマビエの烏土の宮を探し当てた藤原保則が、今の兵庫岡山地方を中心とした疫病を鎮め、日本各地の反乱を武力を行使せずに鎮めた実績に対して、徳川家康は信奉し、自らを保則の南家藤原の出自だと申していたからです。 坂口が、古事記の上代を、皆さま方にとりましては、新しい言葉で解説いたしますのも、この地に生まれたご縁で、皆さま方のような研究者ではなく、口伝者だからです。 そして、江戸時代のアマビエが現れて6年後(7年目)に起こる話の準備が、アマビエが命と引き換えに忠告していた重要なところです。 それは、今の日本(ヤマト)のコンセプトと全く同じという事に成ります。



 
 
 

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