アダムの語源とソロモンの峰の古代神殿
- yamato-567
- 2020年10月25日
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doの語源は、damだという説があるそうですが、アダムが尽くす人、為す人、土を耕し働く人でありますと、それと直結しているのが、トモ(塘、公共、友、堰、堤)です。
長らく、熊本県の方言としてとらえられていたトモは、こちらの銭塘と同じ地名としまして、中国の浙江省坑州市の銭塘江というように、古代には海を越えて共有していたのかも知れません。(銭は錫が変化したものと考えています)
ところで、古代でも、川の氾濫は、水を頼りに生きなければならない古代人の、多くの人命を奪ったのでしょう。 ところが、当時、その水害を終わらすための公共(とも)工事など、誰が為すのでしょう。 個が生きるために精一杯の時代に、誰がアダム(為に生きる人)となりえたのでしょう。 ところが、超古代の日本人は、海を渡る事によって、協力(和)しなければ生きていけない事を、人類に先がけて学ぶのです。 最近の研究では、人類が困難な海(大陸だった今の台湾あたりから、日本の先島諸島などに渡った可能性)を渡った事が、人類にとっての最終進化ではなかったかといわれています。 そしてトモは、ドモと濁り発音され、ダモ→ダムになります。 突拍子もない話ですが、古代のゼネコン軍団の佐伯氏や日置氏の、巨石移動やトンネル工事の技術を、身近な所で目の当たりにしますと、トンカラリンと同じ布石工法で同じ寸法の地下構造の、エジプトのピラミッド、ユダヤ人が捕因となったニップルの広大な灌漑設備など、日本人がかかわっていたのではないかとさえ思えます。 そして、歴史の大きな謎としまして、本来なら奴隷にしてよかったユダヤ人を助け、手水舎から日本の神社に似ている、エルサレムの神殿再建に協力しましたのは、正倉院でも明らかなように、日本とペルシャは繋がり、同じ斑鳩(斑目の火鳥)の火の国だったからではないでしょうか。 ですから、ペルシャのクロス王は、ユダヤの中に、トモの日本を見たのでしょう。 ところで、実家に伝わる磨製石器は、古代の舟に関わるものとして、祀られて参りました。 その舟で、友と大海原を渡ったのでしょうか。 写真は、古代の神殿の形ではないかと考えています、火の国菊池旭志の、ソロモンの峰の巨石です。



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