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ほんとうは烏と貝装束の、アマビエの古代烏土の宮

  • yamato-567
  • 2020年8月23日
  • 読了時間: 2分

藤原(中臣)氏は、自らの祖先の出自を探り、火の君の一族の伝承から、古代宇土の宮(中臣氏がいた頃は烏土、読みは同じウト)と突き止めました。

天狗(祭司)が上陸した鰐洞の海にあります。

烏土の宮は、烏天狗の故郷ですから、歌詠みで帰神をし、天皇の宇気比の審神者も勤めた中臣氏が、身分が低いにも関わらず、その後、官位を登りつめましたのは、はるか古代の、天皇家との縁によるものです。

ところで、鎌足の名は、葦茅を切り、水酸化鉄を採取する方々の名でもありました。

その築年不明の烏土の宮が、藤原保則の命により建て替えられましたのが、近津鹿島神社です。

るろうに剣心などの、神風連の尊社でもありますが、皆さんに関係がありますのは、日本の中央構造帯(地震の背骨)の西の端の海にあるからです。

東の端の海は、ご存じの鹿島神宮で、二宮で地震を鎮めているという事です。

私は、オリオンの三ツ星の芳三山(岩戸山は烏土の宮の裏山)に生まれ、生まれた時から三ツ星の因傷を持ってきた長男は、茨城の鹿島神宮近くに住んでいます。

長男は、私が話す前から、自ら鹿島へ行く事になる事を知っていました。

写真は、火の国の火祭りの中でも、過激だとして世界にも知られる、近津鹿島神社の火祭りです。

空海は、同じ芳山の麓の竹崎(肥州高野山)を、日本三大霊場と定めていますから、ルーツは、修験道と同じ烏天狗ですね。


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