なぜ浮橋(浮き世)と呼ぶのか
- yamato-567
- 2020年8月26日
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なぜ、高天原は、タァカァアァマァハァラァなのでしょう。
発声での小さいァは、延びながらも張り詰めています。
いつも申しますように、空ァ山ァのようにです。
ア声を折り返しますと、海ィ大地ィとす舞いし鎮まります。
相撲の語源がスマイでありますのも、主がイ声に現れている住だからです。
また、日本語の動詞がウ声で締められますのは、このアイの錬磨を抱きしめているからです。
神も、表現としましては、カァミィとして共に在ります。
空海は、その名から、折張金の原理を知っていたのかも知れませんね。
それは、この宇宙世界が、延びて張り詰めて誕生した浮橋(映像)である事を示しています。
ここで、その延びる前を、高曲原と申しますのは、神の光(米)をくくり曲げるもの(米→I+曲光)であるからで、要するに、スクリーン(白神、皇)であるわけです。
その曲が、真の我でもあります。
また、タ(対称力)、カ(駆け抜ける力)、アマ(丸く張り詰める力)、ハ(散りぬる力)、ラ(螺旋回転力)は、それぞれが分離している力ではありませんが、対称力が螺旋回転と成りますのは、曲玉の性質(神日巣の七つの子)が、五組の連玉とニ独玉の計十二曜玉として現れるからです。
これは、五七の調子であり、ピアノの五黒七白鍵盤であり、五臓六腑一性殖などで表面化しています。
中心が移動する螺旋回転の渦である事で、多様性が生まれています。
坂口が納めた写真の青井は、よりタ声カ声ハ声の色が濃い昇り立つもの(花園加藤清正公像)と、ア声マ声ラ声の色が濃い巻もの(拝ヶ石の亀石)との比較です。

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