とらえられる非実在を本として、実在を末としている認識を角力(ひっくり返し)して、末(本末転倒)となった実在の法を、本(日本)としなければなりません
- yamato-567
- 2021年3月16日
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ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の祖はアブラハムです。
アブラハムの秘密が明かされなければ、分かれた教えの、自宗教のさらに自派が正統だという争いに、終わりはありません。
それは世界大戦が終わらないという事です。
日本人は、政治と宗教を絡めますと、あまりよい気がされない方が多いと察しますが、それこそが、宗教で私が一番という考えや行動で戦争になる事がおかしいという、世界でも希有な素性を持っている証でもあります。
ややこしいのですけれど、それゆえに、どうでもよいと思っている日本人にこそ、宗教と政治の話をしなければならないのです。
アブラハムがいたメソポタミアのウルの地は多神教でした。
アブラハムは多神教を脱したので信仰の父とされているのですが、アブラハムの父テラ(球日)、祖父ナホル(那隼)には、信仰がなかったのでしょうか。
彼らこそ、神をとらえられない神として、そのはたらきとして現れる神の使いを、恵みを、神の代理として感謝してきたのです。
とらえられない実在の神をとらえたとするならば、個々の宗教宗派、または個人に至るまで、思考での都合の神となります。
アルラ(在神日)である実在が、とらえられるという勘違いが、都合の神に仕立て、とらえ方の違いの主張争いの中で、すでに主張を超えている支配者に、漁夫の利を与えているのです。
それで、騙されている者同士で、戦争をしてはならないと、ずっと申しているのです。
とらえられる非実在を本として、実在を末としている認識を角力(ひっくり返し)して、末(本末転倒)となった実在の法を、本(日本)としなければなりません。
オリオンの三津星の横にある反射(坂矛)星雲と呼ばれるM78は、ウルに住み、78の15日の本場所の挑戦をして、日本に帰ってきたものの暗示です。
出雲の神殿は、バベルの塔(ジッグラト、日本)です。

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