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とらえられないものこそ実

  • yamato-567
  • 2021年6月2日
  • 読了時間: 2分

粟に代表される五穀、そして、養蚕の神であるオオゲ(ケは食)ツヒメは、黄金の稲穂(来常(ケツネ→キツネ、黄金の尻尾)に封印されます。

封印された神は、世界に散っていました、縄文の神でした。

それを蒼津(くさつ、アオヅ)神と申します。

封印した豊受の弥生の神も、和合して稲荷として統合されて参ります。

このように、同じ食(ケ)の神でも、神名が違い、幾つもの名がありますのは、日本が和した国であるためです。

京が、平安(エルサレム)として完成される前の大和の三輪、そして、平安京と同じ四神相応で、同じ時期に建白されました、人吉青井阿蘇神社は、大神氏(蒼井氏)でつながります。

そして、大和とは、古事記にありますように、大和タケルが、熊襲タケルの名を襲名して繋がる名なのです。

実は、タケルという一般的な名ではなく、熊襲には、先史の文明の比曰仁育(ヒラヱプラ、一字で熊)から続く、八磨土(邪馬土)の名があったのです。

ですから、大和は、八磨土(邪馬土)を受け継いでいます。

また、木地師の祖ともいわれます、惟喬親王ですが、有名な"高砂や"の祝言の古今集の歌も、九州から四国(粟→淡路)、近畿(兵庫)ルートの舟旅の話であり、日本国国歌の君が代(君は大神氏の元の名)の古今集の歌も、木地師の歌です。

その古今の歌の秘密の鍵は、舟で着いた所にもありましたが、舟で出た所には、更なる秘密を解く鍵があったはずです。

ところで、縄文を受け継いでいたと考えています、イエスは、人(津)は、パンのみに生きるのにあらず、神の一津一津のみ言葉によって生きている、と、三津を暗示しましたが、その一津の映写機(神の実在)、もう一津のスクリーン(私の実在)がなければ、映像(現れの私と宇宙、津)もないわけで、映像(パン、膨れた宇宙)だけで生きているとしますのが、実は、科学的ではないわけです。

そのスクリーンの象徴が、神鏡(大月、オオ食津比ロ羊、香久比売、以機(瀬)織津媛)であります。

私たちは、とらえられるものこそ実在として、とらえられるものの奪い合いで、争いを起こしてきました。

ところが、縄文人のように、映像として、とらえられないものこそ実だという気づきにありますと、争いの興味も失せて逝くのです。

その気づきは、一くくり(女)の芒(禾)人を暗示いたします、倭(やまと)の民の復活でもあり、それは、世界人類の危機脱出への、希望でもあります。

五千年以前から続く、焼き畑の後、1年目はソバ、2年目はヒエ、アワ、3年目は小豆、4年目は大豆、そして20年の放置の、計算された縄文の農法であります、五穀輪作の、椎葉村の焼き畑のお写真は、お借りしています。



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