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お彼岸の謎

  • yamato-567
  • 2021年3月20日
  • 読了時間: 2分

彼岸は、彼の岸という捉えられない表現です。 ところで、天皇の皇とは白神の王の事です。 白神とは、映画に喩えますとスクリーンの事で、スクリーンがなぜに捉えられないのかは、映像が上映されている時、すなわち、今のあなたが現れになっている時は、スクリーンは隠れていて、逆に、上映が終わりスクリーンだけになった時は、見る事ができる現れのあなたがいらっしゃらないからです。 日本人が、なぜに日の出と日の入りを大事にしてきたのかは、その世界(映像、天の浮橋)の宇宙開闢の切り替わる刹那を拝んできたからです。 その、初めであり終わりである日の本の刹那の気づきにあるので、那人というわけです。 話を戻しますと、スクリーン(白神、菩提)と映像が表裏一体であり、あなたご自身をあなたが捕える事ができない悟りへの挑戦が、彼岸に行ける者(菩薩)という事です。 それで観自在菩薩とは、私は在ると観るという、捉えられないこそ在る(内裏)という難しい表現となります。 私たちの祖先は、白神(スクリーン、実在の私)から現れてくる映像である宇宙世界(天の浮橋)と現れの私(天の鳥船、意志という目がある烏→鳥)を金鍍鏡や銅鏡で映し出して見せていました。 さらにその昔は、巨石で見せていたんですね。 写真は、拝ヶ石の巨石と、押戸石の巨石と、金山の巨石の観光の様子です。 ほんとうの観光とは、観自在(お彼岸)を知るという事ですね。



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