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「景趣」 ケイシュ・オモムキ・アリサマ

  • yamato-567
  • 2020年5月22日
  • 読了時間: 2分

以前、昭和天皇が、阿蘇に行幸なされたおりに、阿蘇の山がハゲている事を気になされたという事を、伝え聞きまして、山から石を採石する業者の方々に、採取後の、山の回復など、お願いに回りました。 景観と申しますのは、観光資源として大事でありますが、自然の回復は、私たちが住み続けるために、最も必要な事です。 本日は、行きは、新しい阿蘇大橋を通って、帰りはミルクロードから、熊本市内に帰って参りました。 熊本地震での山崩れなど、景観の痛みは、つらいものがありますが、復興に向かう人の努力もまた、景観の一つです。 道々には、古代日本の有り様そのままの、神社や巨石があります。 往復3時間、以前と変わらぬ時間でした。 ところで、阿蘇五岳を見続けた菊池は、景趣そのものを理想としました。 それは、外なる景色、内なる心の思い向き(趣)が、釣り合っているものなのか、という事です。 外なる景色が、戦争で乱れているならば、これを、政、武(舞)を持って回復し、内なる思い向きが乱れているならば、祭の御祓を持って、回復してきたのです。 それは、古今伝授の、水前寺公園の名でもあります、成趣でもあります。 即身成仏とは、身を痛め傷つける事ではなく、まず、そのことわりである理趣を知り、行いとして回復に務めておいでの成趣の方ではないでしょうか。 それこそ、汚れがあるなら、虫が来て、植物が生えて分解し御祓、体に怪我があれば、白血球が菌と戦い、赤血球が血を止める回復の、自然や人の体に備わる回復の反射と同じ、申し替えますならば、まつり合わせという事です。 写真は、回復として生かし回る神と、自然と人の技が形となりました、山鹿千人灯籠まつりです。 どこか、回教徒の方々の、メッカの巡礼と似ています。 また、クルアーンという教えの音の響きは、遠き昔、この地にいたクル(カラ)族の、アウンの神日イモアンの案内に似ています。 写真は、2000年程前の景行天皇行幸の、山鹿千人灯籠まつりと、少し新しくなります、メッカの巡礼と、日本の石庭(斎園殿、エデン)と、形は日本各地の巨石と同じ夫婦の鏡石(メンヒル)で、名も那日や飛鳥とそっくりな、サウジアラビアの、アル・ナスラの巨石です。 写真は、お借りしています。


 
 
 

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