韓の真実
- yamato-567
- 2020年8月23日
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そもそもの話ですが、中国から差別を受けて、長きに渡って、人も財も奪われて、属国化していた国が、誇りある国に立ち上がろうとしましたのが、大韓帝国です。
日本が、自国は借金をしても、他国の借金の肩代わりをするという事は、今始まった事でもないという事ですが、日本は、その元の李氏朝鮮に、多額の援助をしていて、裏切りにあっていた事は、先日の投稿の通りです。
その、誇りある韓ですが、カラというもう一つの読みは、超古代、森が深くて、まだ誰も住んでいなかった韓半島を開拓し、住んでいた、先住民、熊襲神日族のカラです。
今の半島の方からしますれば、意味がわからないけれども、祖先から尊敬してきたという、平昌オリンピックに出て参りました熊女であり、インディアンのような羽を着けた人面鳥です。
また、インディアンが待ちつづけた、白神でもあります。
さらには、先史の時代のお伽木話を伝えて参りましたので、伽羅でもあります。
そして、カラが加耶でありますのは、個々人の家の屋根の茅葺きを、皆で葺き替えていたからです。
茅(千)ノ輪をくぐりますのも、今の私が、祖先と宇舎国の民と、十字の一くくりだという自覚です。
ところで、今の韓国が、ルーツとして、誇りを持っておいでなのが、新羅です。
その新羅王に、玉名から渡った昔脱解がいた事は、これまでの投稿に記しましたが、重要なのは、新羅の元の斯蘆(しろ)です。
意味は、葦草の如くです。
それは、加耶(茅、千)の代(世)に習った名です。
また、蘆は芳でもあり口でもあります。
芳は芳山芳野拝ヶ石でもありますが、舎(カヤ、人吉)の人芳でもあります。
金官加羅から、斯蘆(しろ)に成るまでは、大陸から集まって、日本に帰郷、渡るために待機していた国でしたので、日本人の多くが去ったその後も、裏切りを超えた国の安定のために、日本人の王が立たざるを得なかったのです。
それを、今の韓国時代劇に影響を受けた方々がおっしゃる、斯蘆以前に国の元をお求めになる事で、韓国国内の真面目な歴史学者が、歴史を後世に戻そうとなされて、解明が進みませんのは、真面目な歴史学者の方々が、発言できない歴史の真実に触れておいでだからです。
また、繋がりもなく、突如現れる、その倍も昔の熊女伝説は、全く別の地の伝説と、日本(東海の芳山)を目指して大陸から集まってきた方々が男子ばかりでしたので、熊襲の女性と結婚したという話が、混ざったものと考えられ、話になりません。
写真は、人吉高橋酒蔵、球磨焼酎白岳しろです。
不知火海を挟んで対岸の天草は、しろを暗示する天草陶石の産地です。
日本での白磁の原料としましては、80%のシェアを持ちます。

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