阿蘇の海
- yamato-567
- 2020年9月20日
- 読了時間: 3分
私の命名が、実家の神棚に貼られる前に、気がふれたような、中国の占い師という方が、突然現れて、成事と名付けよ、という妙な経緯で名付けられたそうですが、事は、龍であり、言鳴を事成りと変える示しです。
私の文章は、読みにくいのかも知れませんが、事という字が多い事がおわかりと思います。
ところで、耳と囗が同じ音秘めの、聖を冠される聖徳太子縁の、先代旧事本紀大成経は、伊雑宮にあったとされます。
その元の阿蘇の海、籠神社も真名井神社も、封印されているものは、元々の阿蘇の海とはどこかが解けなければ、謎は、堂々巡りとなります。 それは、阿蘇山の海という事で、有明海、不知火海、八代海が当てはまります。 それは、三つの志摩(海に面した所)であり、三は、已島、美ら島でもあります。 その中でも、中心の宇城の郡浦(高、神の裏の暗示)神社は、熊本でも、最も古い神社の一つとされますが、熊本県民さえも知らないと答える、隠されているような所です。 阿蘇に嫁ぐ事となる蒲池姫、久留米の松田聖子さん、坂井泉水さんの本名でもありますが、その方々の、古代の故郷でもあります。 話は飛びますが、源為朝は、この地域を手中にし、阿蘇の大宮司家の娘を妻にします。 それは、薬子の変での、平城上皇の悔恨と、後代の清和、陽成天皇の悲しみを知った為朝が、古の天皇の親戚でありました、阿蘇家の血を繋げ、平城京を再興しようと案じていたと考えています。 ところが、娘の父である平忠国は、阿蘇大宮司家の名にありません。 しかも、平忠国という方は、阿蘇(熊本)と曾の阿多(鹿児島)に二人いた事となっています。 それは、為朝が朝敵となったため、阿蘇家を守るために削除された事と、一部、阿蘇清和村などに隠れ、多くの方々は、海を渡るに適する、阿多へ逃れられたからだと考えています。 そして、忠国は、自らの孫に宇城、蒲池姫の神器を持たせ、奄美、沖縄へと逃れさせたのです。 それで、伊豆大島で死んだはずの源為朝の伝説が、沖縄などにも残っていると考えています。 それは、封じられた古代の蒲池姫の一族、為朝の遺児の、さらにその継承ですから、秘密になされてこられたはずですから、そのおかげで、伝承も、しっかりと受け継がれてきたわけです。 為朝繋がりで、今、この時代になって、我こそは正統皇統、天皇なりと、宣言なされておいでの方がおられますが、その悲しみ、憎しみで、どうして、国民が、天皇と認める事があるでしょうか。 ついて来られているヘコ持ちの方々は、あわよくば大臣になれると、お望みの方々だとお察しいたします。 これまでの皇室への暴言を恥となされて、生かされている生命を、大切になされてください。 私は、その方とのFBの友の縁を切っていますので、伝わるかわかりませんが、神器などの品物が、天皇を証するのではなく、神と神民への至誠が、天皇を証するという事をおわかりください。 郡浦神社の写真は、お借りしています。




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