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武内宿禰

  • yamato-567
  • 2020年9月24日
  • 読了時間: 1分

祖先の墓があった(現在は納骨堂)、実山(げんやま)公園に行って参りました。

正面にありますのが、有明海の対岸の島原です。

右端が武雄で、ここの御船山から、大陸や半島へ渡る船を造る野見師(船大工)と木材を探しに、武内宿禰は来たのです。(野見崎にも祖先の墓があります)

歴史上は武内宿禰が、小天を平定したとなっておりますが、戦争をするどころか、同じ筑紫(紫貝を利用する民、フキア迦那人)として、懇願されていたんです。 その時、文書にしてはならない口伝は持ち去られました。 水前寺成趣園(小天天子宮を建てた道君首名は水前寺の別名)のように、世界が雛形である事が伝えられていたのです。 それでも、縄文海進の時代の南極と、祖先の島々の那日ムスが称応している事など、大事な口伝は漏れていません。 昨年の事、武内宿禰のご子孫というお方にコンタクトを取ろうといたしましたが、お忙しいのでしょう、お相手していただけませんでした。 後で、その後お亡くなりになられたと知りまして、驚いた次第です。 実は、迦那人の最も大事な口伝は、想像で貼りつけた神ではなく、神の実在、私の実在に気づく事です。 それで実山です。 小天には、他にも、古代の神道で祀られた、上(神)有所、下有所という地名もあります。


 
 
 

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