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ナライ。

  • yamato-567
  • 2020年10月24日
  • 読了時間: 1分

拝ヶ石巨石群は、すでに江戸時代初めの書物では、不思議がられていました。

なぜ、古代の文明が、江戸時代には、わけのわからぬ事になっていたのかは、古代に九州から東へと都が移転した事と、白村江の世界大戦敗戦による、唐、新羅による九州への侵略、さらには、侵略者が持ち込んだ疫病が蔓延したために、古代文明を伝える人も居なくなったためです。

それでも、古代(先史の那日ムス)の教えがあるとして、坂口の祖先が住んでいた熊本の岩戸山には、奈良時代以前から、遠い都から歌詠みの修行に来られていたのです。 昨日の投稿の鬼滅の竈門も、岩戸山への道程の中継所の一つでもありました。 なぜ歌詠みなのかは、宇宙開闢、日本の歴史も、己が息と共にあるからです。 現代でも、一般的に通じる部分の教えには、岩戸山は日本の西海岸なため、中国やインド、中東やエジプトの教えも混在してはおりますが、それらの文明の元でもあります、13000年前の大平洋の大津波により海に沈んで裏島と成った、那日ムス比日仁育の教えが根元にあったのです。 ですから、日本で習合した文明の元の元のナラを、日本(ヤマト)では習う事ができるのです。 坂口の毎日の投稿は、皆さま方と共に歩む、そのナライへの挑戦です。

 
 
 

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