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ゴッどん

  • yamato-567
  • 2021年3月12日
  • 読了時間: 2分

聖書の元の迦那安のウガリ神話、釈迦族、伽耶(人吉、舎)、ウガヤ(宇舎)の伽那(金)のお伽話は、お殿様とお姫様であられる皆さんの、旅先でのスーパー道案内という事です。 ところで、摩耶の脇から生まれた、優れた牛を意味するゴータマ(釈迦)と、摩利耶から生まれたイエスの三位も、神の照射(力)が、私の鏡(月)に反射(力)して、謝(力、感受)と成るという、一字で示しますと、脇という事です。 イエスが生まれた時の東方の三博士は、一人はインドの方であった可能性があり、イエス自身、その教え(釈迦の教えなど)を習った可能性があります。 釈迦(伽那牛)の末法を終わらす教え(解脱)も、イエス(耶蘇)の終末の教え(復活)も、縄文人(日系人)が伝えた蘇りなのだと考えています。 ところが、伽那牛の教えを、金牛として偶像崇拝にしますのは、照射する映射機の実在である神と、反射するスクリーンである実在である私は、映像の私(非実在)ではとらえられない何かでありますのに、とらえたと認識しているからです。 非実在を実とする逆立ちの認識が、本末転倒の末法であり、それを終わらすのが終末という事です。 最初の写真は、釈迦が摩耶の脇から生まれた伝説です。 写真は、お借りしています。 次の写真は、牛頭どん(角力、反射)の真釣り合わせ(映写会)を示すゴッドンです。 人吉青井阿蘇神社の宮司様からお借りしています。



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