出囗王仁三郎さんが、熊本の邪馬嘉国の不動岩をみた時に、セドナ聖地の元だと言われ、この地のワニの名を一時期名乗っておられたそうですが、実は、王仁(愛)は、元々は鰐(祭祀者)が訛ったものだったのです。 鰐という地名は、日本に数十ヶ所ありますが、特に西海岸である熊本は、その祭祀者が上陸した地名として残ります。 皆さまもご存じの幣立神宮の舟囗は鰐瀬です。 また、アマビエ出現の烏土の宮(坂口のプロフィール写真)も鰐洞です。 ところで、来年の節分の豆まきの話をいたしますと、鬼に笑われそうですが、実家での豆まきは、自らの目に向けて投げます。 真実の目を開けという事でもありますが、烏萓(大嘗祭の百子張の屋根のクバの葉)を葺き替えるのは内なる私で、そういたしますと、自然と愛(王仁、鰐)が外に出るという仕組みです。 おそれながら、陛下は私たち国民のお手本です。 本来、鰐(愛)は私たちから出るものであって、噛まれるものではありません。 鰐(愛)に噛まれて白兎が苦しみますのは、内を葺き替えないままに愛を出そうとしたからです。 それを祭祀者である大狗奴主(狗奴は国の古語、卑弥弓呼)に助けられるわけです。 神話(お伽話)の多くは、大狗奴主が韓半島(加羅、伽耶)にいた頃の話で、実家近くの鰐洞や梅洞などの名と同じように、古代の韓半島の洞の名は、お伽人(アマノクマヒト)が付けたものです。 また、蘇我氏が火を付けた古代日本の書庫も、今の韓国人ではない先住日本人の韓半島にあったもので、燃えてなくなりましたが、古代日本の歴史書は、お伽(伽耶、葦草文字(神代文字)を使う人葦球磨)話でもありました。
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