邪馬土
- yamato-567
- 2020年7月13日
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馬天祝女(サメ)の呪女(ノロ)の役目は、祖先の霊言を伝える一般的なユタと異なる、神道の基本中の基本であります、神からの宇気比の、聞こ示せという事です。
神の申しを、呪女が仲立ち(とりなし、〆シヤ、示シ家)となって伝える、申シ申シの亀という事です。
拝めの発声が、お亀でありますのも、祈りは、亀に意乗る事の象徴だからです。
そして、なぜ馬なのかは、邪馬土(ヤウマト)という当て字で、これは、ヘブライ語で神民という意味ですが、本来は地形的な意味で、海や川からすぐにそびえ立つ山のある地形と、馬が降り立てない神聖な土地という事ですが、まさに、世界で最も邪馬土の名の通りの日本の国土です。
ヤウマトの、ウト(烏奴)の部分だけが残った宇土の馬門石も、ヤウマトの御門石であったと思われます。
ところで、元祭司長ザカリヤに保護されていたマリヤの子のイエスや、聖徳太子が、厩王と呼ばれますのも、馬小屋で生まれたわけでなく、ヤウマトの王という事です。
そして、大和の大王(天皇)の墓石のために、わざわざ熊本から運ばれたのですから、意味がないわけはありません。
その宇土から、7300年~6300年前のキカイカルデラの火山活動の時、逃げ道とは逆方向の沖縄に向かった人たちは、ヤウマトの馬天祝女(天の恵みを伝える人)の、聞こ示せを伝えた呪女(ノロ、のろまな亀)に従った、まさに、神民(ヤウマト)でした。
そのようにして、沖縄には、降灰の中、真っ黒な天から太陽を呼び出す、太陽信仰が伝わったのです。
それはまた、九州から脱出した人たちにより、広く、アジア、アフリカまでも伝わり、緊急性のない地域の方々にも、太陽信仰が広まる事となります。
そして、馬門石の朱赤、国旗日の丸のアカも、太陽です。
さらには、東海龍王の龍目が黒曜石でありますのは、暗闇の宇宙に輝く太陽の象徴であり、喩えは悪いですが、太陽の子としての人質として、親なる太陽を呼び出していました。
太陽色である金色もまた、加那(金)人であるカナン人などによって、釈迦の仏教などにも取り入れられました。
また、ずっと後世ではありますが、源為朝の子が、宇土(阿蘇)から阿多(阿曽)を経由して、沖縄に落ち延びて、後の琉球王朝の成立と、沖縄の神道に影響を与えましたのは、その子が、阿蘇の大宮司の孫であったからです。
私は、今も残る、阿蘇の清和村の高い文化と、沖縄の王朝文化の元は、宇土(ヤウマト)と阿蘇の世界的古神道と、清和源氏の文化の融合ではなかったかと考えています。
写真の、宇土の雁回山は、坂口の自宅からも近いのですが、源為朝が、長い間拠点とした所です。
当時は海が麓まで迫り、まさに邪馬土でした。

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