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斯蘆。

  • yamato-567
  • 2020年10月24日
  • 読了時間: 2分

七次元とか、九次元宇宙とかのご投稿を、時々お見受けいたします。

茶道などは、狭い茶室で、わかりやすいのですが、広さが強調される程、高さが強調される程、本来を見失い安いものです。

古代の日本人は、今の畳で表現いたしますと、畳百畳ほどの平面に、神々の元も、時空間の元も、詰まっていると考えていました。

数十年前まで、そのような話をいたしますと、お笑いでしたが、最新の科学では、理解が、縄文人に近づきつつあります。 次元と申しますように、何百何千次元でありましても、投影される元の次でしかありません。 畳百畳と申しますのは、その本(日の本)の高曲原を、便宜上ではありますが、表現いたします。 その、中心とも表現しにくい、点なる点が、これも便宜上ではありますが、す声です。 宇宙は、す声がすぅずぅうと掛け(讃岐)延びた花火の、うの所(うで始まりうで終わるうちゅう)です。 鈍い饂飩でもあります。 ここで、すぅずぅう(鈴宇)と、ずと濁点が挟まりますのは、高曲原という、神と異なる私の意志、神の子としての独立尊厳(唯我独尊)があるためです。 それで、日本人は、鈴を振り、髷を結宇のです。 また、す声(言)を示す、十字螺旋回転(す)の物の計りは、すん法です。 不思議な事に、その後を説明する手段は、日本語ではなく、英語です。 すぅあと内鏡に映される天球(内宇宙)は、あぅす(アース、地球→一般的な地球の意味ではなく宇宙の事)として、外鏡に逆さに映されます。 意識により、中心点が定まりますと、芳角がつかめます。 それが、ノーす、イーす、サウす、ウェすです。 すが、寿でもありますのは、言吹きだからです。 この宇宙は、映された非実在でありますけれど、そこには、祝言、言祝、福音の喜び(キシロ、姫、喜斯蘆)があるという事です。 また、それは、元々日本人が建国した、後の新羅の国の名でもありました。 新羅を元とされる、流民としてこられた今の半島の方々は、古代日本人の恩なくして、住まいも国もなかったのです。 話は逸れましたが、日本人の祖先は、顕幽神三界(顕界だけ破れて成長)の三三九度を、飲み干し(108→81→27)て参ったのです。 写真は、水前寺成趣園の、古今伝授の間です。 水前寺の名の元となった、肥後筑紫の守の道首名は、斯蘆の方であったと考えています。


 
 
 

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