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乙橘

  • yamato-567
  • 2020年10月28日
  • 読了時間: 2分

磯城(敷島)は日本の事ですが、それは崇神天皇の宮というだけでなく、五十音(いそ)の言霊が隙間なく敷き詰められた、言霊の幸給う国だという事です。

ところで、現代は、弟は男、妹は女、妻は女という区別ですが、妹神弟神妻神は、相互に離れて存在する事の出来ない両性に通じる意味です。

そして妹神(をなり、弟成、音鳴り、津磨)こそ、海人を霊的に守る斎王でもあります。

音にも忌(イモ、斎モ、モアイ、帰)にも、宇土がつき、オトウト、イモウ卜と成りますが、宇土は、海へ漁に出るものが帰る所です。

海路(うじ、氏)の無事を祈り、霊的守護をしたのが、斎王の始まりです。

そして、斎王の祭司の、斎園殿の磯辺(五十辺降留、ヘフル)は、八畳(丈)に葦茅が敷かれます。

たたなづく畳が敷かれている所(敷島)が日本という事です。

入水する事は御祓でありますが、後世には、入水は、自殺の意味にとられていますので、古事記の解釈に勘違いがあります。

斎園殿に植えられた橘(蜜柑)は、その秘密(弟橘比売の夫(妻)のヤマ卜タケルとクマソタケルの古事記の真実、まだ明かせないものもあります)を伝えています。

写真は、町の大部分が石垣で蜜柑畑の河内町です。

河内の蜜柑は、昔から天皇に献上されてきました。

海に面した町そのものが斎園殿(エデン)です。

エデンの東の河内芳野東門寺に、天皇が拝まれた、拝ヶ石巨石群があります。

ところで、大和の吉野には、磯はありませんが、河内芳野には、磯漕ぎの海と、五十音辺(磯辺)の修業の場があります。

大和の方々からしますれば、ヤマトのヨシノは、九州の西海岸のヨシノを示します。



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