56億7000万年の369の下生の兆候
- yamato-567
- 2020年10月7日
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九日町とは、元は、九日(くんち)に市が開かれた事に由来する事は、皆さんはご存じでしょう。
人吉の町名には、その名残があります。
ところで、その元の元はご存じでしょうか。
川岸の番号です。
那入川など、世界各地で、川海を暮らしの場としていた日本人(那人)の、場所を特定する知恵という事です。
そして、12の文字盤の6を境目として、769と開く方が、生者の岸で、543と開く方が、死者の岸で、合わせて、両国(榊の表裏、境木、神武天皇の幼少期の狭野、サの蔵)という事です。
両国は、ユーフラテス川を挟んでウルとウルク、球磨川を挟んで人吉青井阿蘇神社の青龍(鶴)と、八代神社妙見宮の亀蛇(亀)、エジプトの那入川を挟んで、日が昇る生者と、日が沈む死者(王家の谷)の事です。
そして、生者の方を九日しと申すわけです。
また、生者の九日垂らしがある所、死者の三日垂らしがあり、人は、三六九の花咲耶のタラシ日子の存在であります。
しかしながら、実際には、人の暮らしとはなっておらず、三六九の花咲耶の兆候は、両国に567(666→567→468→369)と振れる時(369の教えが弘法される時)を示します。
それは、56億7000万年の弥勒菩薩の下生(文字盤の下に369と咲く花)の暗示です。
日本人は、数字を秘め事として使っていたのです。
それで、その秘事の順序の文を、一二三(肥文)と読ませます。
ところで、彼の岸とは何日になるのでしょう。
6の境木から生まれる事も死ぬ事もない666(サ蔵の実)が、便宜上の彼の岸となります。
その666を18日の命日として暗示しましたのが観音(観自在)です。
見るもの(視点)と見られるもの(面)が同じという事で、観音様には面があります。
それはまた、聞くもの(耳)と話すもの(口)が同じという聖です。
また、12月18日は、一年の納めの観音で、そこから冬至までの三日間、冬至の中日、冬至後の日の復活の三日間の一週間(お彼岸の7日間も同じ)を、古代の日本人は特別な日として、石組み(トリリトン)の鳥井を狗ぐりました。
イエスが弟子のペテロに、一番鳥が鳴くまでに、三度知らないというだろうと申した事は、冬至までの三日間は、一年の内で最も日が暗く、日(真理)を知らない時であるからです。
ペテロは岩戸である境木であり、一番鳥は冬至であり、その名残で鳥を食べます。
イエスが、十字架の三日後に復活した話は、鈴や蜘蛛貝などを釣るす、冬至の真釣り合わせ(クリスマスツリー)の話が、冬至の三日後のイエスの誕生日も含め、後世にとり込まれたものと考えています。
当時のローマでのミトラ教(太陽信仰)に合わせた、造られた歴史という事です。
しかしながら、そのミトラ教の元は、日の元の日本です。
肥文(くまふみ、神代文字)の謎を、朝日に匂う山桜(サの蔵)花の歌に秘めた本居宣長も来たであろう、肥人のふるさと人吉球磨のおくんち祭(3日~9日)は、あと二日です。
今こそ、1999の生に偏った時(禊ぎの七の時)で、999→666の彼の岸の彼岸に角力(ひっくり返し)する時です。

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