長女が小学生の時は、教育キャンプなどに同行いたしました。
即興歌にアンコールをいただくなど、子供そっちのけで楽しいキャンプでした。
そんな中で、ある女の子に、男の子が寄ってたかって意地悪を言っていました。
そのままにしておくべきか悩んだのですけれど、長引いていた事もあり、つい、おじちゃんが小学生の時は、好きな子には嫌われる事ばかりしていたなあと言ってしまいました。
本能の赴くままではだめで、子供が理性を持って行動するには躾が必要ですが、躾ありきでは、見えないところでさらにエスカレートするか、萎縮して何もできない良い子になりやすいのかと思います。
実は、その時に男の子らに共感した理性は、人が霊性を持っている証です。
霊とは魂(器)のように個別に存在するのではなく、空気や水のように、その所在は曖昧です。
霊媒師などはそれを利用しているわけです。
髪置き紐解きなどの七五三は、その霊を結び付け再び解き放ちを繰り返し、人を形成していくものです。
その時も共感に応じた霊が結び付きます。
ですから、教育者には、霊性の自覚は助けになると思います。
その上で、本能も生きるための助けであり、理性で抑えつけるものではない事は、動植物との共感から自然と学ぶでしょう。
動植物との霊性の共感が、なぜに人の教育の助けになるのかは、動植物の霊は、私の実在(真実の私)に素直に帰依しているからです。
その素直は、萎縮し隷属した精神ではない事は確かです。
私の実在(私は在る)の話は、いくつかの投稿をお読みください。
今となっては、当時の子供らの年頃の担任となっている、長女から学ぶ事ばかりですけれど。
yamato-567
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