以前、一円玉の旅烏という歌が流行いたしました。 その一円玉のデザインのおがたまの木(招魂木)とは、私たちの人生(旅烏)そのものです。 そして私たちは、VIP待遇で招待されて、この人生を体験しています。 江戸時代のある時、お伊勢参りという機会がやって参りました。 月日を要する道中は、多額の費用が必要ですし、健康であり続けねばならない、覚悟がいる旅です。 それを踏破するにはあまりにも心もとないとして、ある人は、道中で商売をしながら進みました。 またある人は、健康のためのあらゆる情報を集めながら進みました。 その御両人とも、商売や健康知識の道で名を馳せて、人生での満足を得、お伊勢参りなどどうでもよくなったのです。 しかしながら、いかなるお方にも死はやって参ります。 彼らが死が怖いのは、人生で満足を得た商売も知識も、死と共に失われるおそれがあるからです。 そうして、死後もその続きの旅に出て、同じ事を繰り返す世界(天国や地獄)の住人となり、行方不明となられるのです。 なんでも思いのまま(VIP待遇)である事で、当初の目的を変更する事ができ、それがあだとなるのです。 日本(ヤマト)は、その道々に立つ、道祖神であればよいと思います。 皆さま方の雨風をしのぐ旅籠となる事はできませんが、じっと耐えて待ち、お伊勢参りへの道を示す事はできます。 写真は、江戸時代、お伊勢参りを一日で成し証した宮司がいた新開大神宮です。 自らの願いを祈るのではなく、旅に出した我が子を安ずる親神の願いは何かを祈るお社です。 三島由紀夫の尊社でもありますが、神風連はここから発しました。
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