お亡くなりになる前に、読み返していただきたいお知らせ
自分の住みかは、家庭にも社会にもあり、心の内にも外にもあります。
その住みかにいる私は、すべて、自らを分けた自分という事です。
自分は、善を目指すものであり、道徳的である事を、自分にも他人にも希求いたします。
その鏡に自分と映った姿を、善悪を知る木と申すのです。
自ら(生命の木、命のありか)を観ると申しますのは、鏡に映ったものでありませんので、善悪でも、道徳的か道徳的でないか、ご立派かご立派ではないかでは判別できない何かなのです。
善悪を知る、善や道徳を目指すものではなく、目指すの目そのものという事です。
目は、自らを、鏡などを通した虚実でしか知る事ができません。
観自在とは、善悪を知る木の実を虚実として食べる事のない、自らは在るの実在の認識という事です。
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