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肥州高野山の八大龍王石

  • yamato-567
  • 2020年12月13日
  • 読了時間: 2分

八岐大蛇という事は、八つの股(岐)なので、九頭竜という事になりますが、赤い鉄の川の姿や、動静引弛凝解分合の八力ともいわれます。 ここで、八力なのに、なぜ九頭竜なのでしょう。 これはまた、内なる世界(タカミムスビ)と外なる世界(カミムスビ)の二元なのに、なぜ三元(ヽとヽと戸間金のド、三ツ星∴)なのかという事でもあります。 それは、古事記で最初に記される天之御中主(戸間金、天の岩戸、境木、榊)が数えられるからです。 古今集巻第七や出雲の薩摩琵琶歌の、キとミが世を統べる事を可能にする一霊の事でもあります。 日本人は、お歳も、見えないけれど確かにある命の、胎児から数えます。 ところで、お数と申しますのは、熊本弁でシャーの事です。 見えないけれど確かに在る、シャー(数)を教えるのが元々のシャーマンなのです。 そのシャーが伝えられていた縄文時代は、平和という言葉もない平和でした。 写真は、肥州高野山の、八大龍王石の碑です。 九頭竜の一番目立つ頭こそ、まったく、とらえられない実在、うちゅうの中主(ちゆ)という事です。 仏教でいう仏性ですね。 ですから仏性は、八力のように、陰陽に相対するものでなく、ましてや善悪で計られるものでもない、とらえられない何かという事です。 それをとらえた(真理)となさるから、世に真理という言葉が溢れ、我が真理の波及で争い、隷属の牢獄が、あちらこちらで繁盛しているわけです。



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