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yamato-567

聖書の謎解きは、日本語の理解が役に立つ

ソコツ、ナカツ、ウハツの住の江とは、顕幽神三界の住舞いの事です。 皆さま方の中には、主よ主よとお祈りなされるお方もおいででしょうが、住とは、人(あなた様)が、各世界のご主人様という灯台下暗しの話です。 なぜ主なのかは、戌(神々、天使)の坂戈の丶、戊(島々、世界)の坂戈の丶の王→主(戈成)だからです。 太郎(成す人、アダム)から出た丶が犬神(戌)を現しています。 ちょうど、波は海がなければ存在いたしませんが、天使や世界(波)は、私(海)から出て私に帰る(帰依している)という事です。 末法と申しますのは、皆さま方は、天使(波)に帰依しようと本末転倒の事をなさってこられたからです。 終末とは、その認識を終わらせる事です。 また、住まいを平仮名にいたしますと、十字螺旋回転のすとなり、大地からムラムラ湧き上がる天叢雲の剣でありますが、その大地とは、ちょうど映画のスクリーンのように神々(霊)を世界(令)を映します。 また、すは、言吹き(寿)の発声だけでなく、タカアマハラの六言霊のタ声+、螺旋回転のラ声を示した迦那です。 これは、聖書に記される、初めに言葉ありき、と、モーセが説明したアロンの杖の図でもあります。 さらには、すは言延びて、すぅずぅう(鈴宇、神社の本坪)のスとウのうちゅうに分けて行くのです。(すぅずぅう→烏ちゅ烏、ちゅは天之御中主) ただ、聖書(迦那安の烏ガリ神話が元)の場合は、日本語(迦那の烏ガヤ神話の言語)が忘れ去られているため、言葉は神なりき、と、深く答えていないのです。



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