綱引きは、古来は神事とされていました。
ナギナミ尊の天の坂矛も、実は綱引きです。
また、ヒンドゥー教での天地創造神話は、山に巻きつけた大蛇を神々が引き合い、世界の構成要素をかきまぜる、乳海撹拌といわれるものです。
要するに、パチパチチカチカの乳母(チチカカ)の花火の最後の様は、人任せという事です。
先人の中には、執着の苦しみの戒めとして、その綱引きから退場するように、教えられた方もおられますが、その教えておられる方自身、執着は離れておられましても、声かけとしての言葉はあられるので、実際は、顕れて、綱引きを続けておられます。
顕れは、すべて引き合いの争いです。
その争い(八岐大蛇)がなければ、静まる体験(青井龍、九頭龍)もなく、私がなんであるかなど知る由もないのです。
また綱に注目するのが注連縄で、横からみますならば、平行世界といわれる魂の記憶(霊)の構造がみえます。
横綱(大関)は、争いの津那をみ、静める事で、関を占める(後ぜきする)のです。
難波八坂神社の神事の写真はお借りしています。
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