タカミム巣ビ、カミム巣ビの、二性のムスビによるホール巣(隼、案山子宇宙)は、雛鳥の足場です。
そして、いつの間にか、その足場に、私自身を限定してしまうのです。
例えば、私は何々の宗教団体の信者の立場と限定されます。
さらには、私は、教祖や、教祖が拵えた神仏に、帰依しなければならないという、立場の物語に酔わされます。
その自縛を、籠の鳥と申すのです。
あなたの私の実在(私は在る)は、密なる海であって、それに依って出現する、ホール巣のような、鳴斗の渦潮(波羅)では、ないのです。
私(海)は、波がなくとも在りますが、波は、海がなければ、一切、存在する事はありません。
その海(本)である私に、波(末)ム巣ビは、帰依しているのです。
その本末転倒になっている逆立ちの認識を、ただ、簡単にやめるのが、イエスが申す終末で、シャカの末法の教えです。
簡単ではありますが、勇気がなければなりません。
信じる団体や教祖を掴んだままで、飛ぶ事を同時にはできません。
日本人は、巣(足場)がなくても、飛ぶ鳥(明日香)である事を示して参りましたので、海の鳥族と称えられてきたのです。
巣(す)波の世界を鏡と写す(金比日の)張本人である、火鳥の写真と、天の岩戸開き、球磨の才園古墳の金鍍鏡の写真は、お借りしています。
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