この世の中の仕組みの基本が、造化三神であるがゆえに、豊国文字と阿比留文字は、イメージの形(永世、タカミムスビ)→発声(阿比留)→造形(豊国、カミムスビ)という事で、表裏一体∞を成しています。
モーセは、石板で説明しようとしましたが、天御中主という∞の交差する点なき点は、伝える事は困難であったのかも知れません。
ところが、ファラオやスフィンクスの喉の神、喉仏を大事にする日本人は、中主(うちゅうのちゅ)を、自らの発声(肥人が使う肥文、くまふみ)を観察する方法で伝えようといたしました。
タカミムスビ(ちゅうちゅとして烏を胎蔵、鳥井)→カミムスビ(うちゅうとして烏に居候、鳥居)、その言霊から言令への発声の刹那に、あなたの私の実在は、行きは、生成化育(稲荷)の来常を可能として、帰りは、タカアマハラ宇宙のタ声(対称性)を取る田貫を可能として、尻尾(手がかり)を出しているのです。(鳥-烏=目、実在)
写真は、加藤清正が愛した菊池の剛刀、玉名の同田貫(同じ玉名の国宝のムリテの雄略天皇の太刀は稲荷の剣となります)とトト神とモーセ・幤立神宮の石板です。
ちなみに、トト神の境目が、境木である御榊という事です。
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