神秘の海に波なぎて
- yamato-567
- 2020年7月7日
- 読了時間: 1分
何でも器用にこなせる手が、口に、食べてばかりいないで働けと怒って、食べものを運ぶのを止めますと、やがて手そのものも弱り、動けなくなります。
現代人は、その当たり前の道理(自らへのプレゼント(栄養)は相手を反映してやってくる)が、わからなくなったのだと思います。
ところで、少年の時の私が、祖父と、不知火海(フキア)に足を着けて立ちますと、なぜか私の所だけ波が来て、大きな波を被りました。
相撲の不知火の型のように、寄せては返す波は、まるで、私を土俵の外に出したいように振る舞うのです。
凪の海にも起こるその不思議な現象は、祖父が亡くなった後の、青年の頃まで続きました。
ところが、なぜ、凪の海に戻ったのかと申しますと、あるドラマで、あまりおふくろと揉めないでくれよ、結局は、おまえのためなんだからさと、手を合わせる夫の気持ちがすうっとは入ってきて、気づいたのです。
結局は、私が受け取るもの(私の財産)と戦っていたのです。
私へのプレゼントなので、しつこくやって来るわけです。
プレゼントを受け取ってしまえば、波風も終わる、イザナミナギのお誘いです。
フキア(海の縄文人)の教えを反映した、母校校歌の二番には、神秘の海に波なぎてとあります。

コメント