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神の生かすはたらきに習って生きる

  • yamato-567
  • 2021年3月25日
  • 読了時間: 2分

神道は、他の宗教では解明できない疑問に、しっかり答える教えを持っていながら、仏教や中国の諸子百家の教え、聖書の歴史の物話に後塵を拝してきたようにみえてしまうのは、暮らしに神仏の言葉の知識が必要なわけでなく、神と共に暮らすありがたさが、日常にあればそれでよかったからです。

ですから、神の意に反する生き方など考えられなかったので、何万年と教えなど必要なかったのですし、真剣さえも、皆さんはお笑いになられますが、釣り竿の役目で、祭りの当て字ではなく、ほんとうに真釣り木合わせで、つる糸が津留だったのです。

それで、戦争が絶えない今の有史の時代になると、神道の教えよりも、外国の教えがより説得力があるとして飛びつくようになるのです。

ほんとうの教えは飛びつくようなものではないのですが、明日は殺されるかも知れない現状で、より強力に来世への命の保証が欲しかったのだと思います。

その保証を神に要求するという実は不信仰が、契約の都合で色どられた支配の教えを栄えさすのです。

崇拝しているものが、実は、支配者が思考でこしらえ、貼り付けた偶像の神である事に気づくと、神のために死ぬという人と、愛する人を守るために死んでいた人が、自ら死のうとしても、殺めようとしても、その最後の一息までも生かされている命である事に気づくと、教えも神殿もなくとも、神の生かすはたらきに習って生きる事ができるのです。

それは、契約などない、自らが神の生宮、神の実子という事になります。

それが、日本の神道の根にあるという事です。



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