たった一人の戦友しか生き残らなかった激戦地を転戦した祖父は、何の器用な事もできない、ただ突っ立っているだけの人でした。
祖父の二度目の葬儀の前に、先に帰日した戦友の話では、アメリカ軍の前でも捕虜にもならず、血の海のサメにも素通りされているぐらいですから、存在の気配が消えていたのかも知れません。
我が家の夕食には、祖父が抱き抱えたフカ(サメの子)がよく出ましたが、常識では、売りものにならないから家で食べるのでしょうけれど、そもそも、それしか獲っていないのです。
宮総代や寺総代の役まわりの時も、実は、神殿にも、ご本尊にも、手を合わせてお参りしていなかったのに気づいていたのは、私だけでした。
何かの信仰を別にもっていたわけでなく、東天の夜明け前に、ただ会話するように、通じない一人言を話していました。
とうとう最後の葬儀の前前曰、リヤカーいっぱいの魚を獲ってきて、村中に配ったのです。
私も成人して、祖父のまねをして魚を獲ってみようと挑戦しましたが、できませんでした。
ただ、まだ、魚を獲る準備体操段階の、螺旋回転の御祓が一度だけできたのが、まだ角刈りの頃のプロフィール写真です。
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