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王仁が春に立つ時

  • yamato-567
  • 2021年2月4日
  • 読了時間: 1分

鬼とは王仁で、王に成る人なのですが、見るものと見られるもの、又は、聞くもの(耳)と話すもの(口)の二天に分けていますので、王人ではなく王仁なわけです。 聖は、うるさく議論する耳口の主人である王に気づいた人の事です。 日本では天皇を聖(ひじり)と申します。 その王仁がさぶらふ(侍、三郎)日月は、神の実在(日)、私の実在(月)、私の現れの三津(春日)です。 出口王仁三郎という先人が、熊本の邪馬嘉の不動岩(一人子)を見て、和仁三郎と改名なされましたのは、王仁から一人子(神の子)の自覚に立たれたからなのかも知れません。 本日は、王仁が春日なる立春ですね。



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