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玉手箱(アーク)の煙の気づき

  • yamato-567
  • 2020年7月23日
  • 読了時間: 2分

若くして、交通事故によりお亡くなりになられたエンブリ一博士が、GHQ幹部招聘を固持されていた背景には、日本統治に対しての、母国米国の方針との対立があったのだと考えています。

戦後、米国での敵国日本憎しの心情の流れを、日本は友人へと変わる道筋をお立てになられましたが、それが可能でありましたのも、ロックフェラ一財団事務局長の御曹子という、皮肉なお立場であったからかも知れません。

日米欧のみならず、エンブリ一博士の研究は、社会人類学の基礎学として、今日でも、世界各地の大学で学ばれていますが、エンブリ一博士が、熱烈な日本贔屓になられた背景が、あまり伝わっていないのだと思います。

柳田国男の紹介により訪れになられた、失楽園以前のエデンの園のような、球磨の阿蘇谷の村民の暮らしは、昔昔の人類の共生社会であったのですが、それはまた、人類の未来を明かす、村社会であったのかも知れないのです。

ところで私は、実家の弓月の畑下の海岸に流れ着いたという、方々の教えと血を受け継いできたのですが、その御輿の口伝と同じものが、球磨の阿蘇谷にあったのです。

当時、小学生だった私は、百歳近くであった義継に、そのお加木話を伝授されました。

その事で、後に、ユダヤのアーク(三蒼の神器)の真意を、より優しくお枷木する事が可能となったのです。

私は、エンブリ一博士が、命をかけるほどの日本贔屓になられた背景には、それまで、世界中に遺跡調査派遣をしていたロックフェラー財団が、真の目的としていた何かに、出会われたのだとみています。

ただそれは、浦島太郎の、煙の如き白髪(眉間の中心の目の事、白毫)の、開き(気づき)にあったので、研究者や宗教家に伝える事はもとより、身内にも伝える事は困難であったのだと察します。

日本(ヤマト)では、その煙の如き何かを伝える挑戦をしています。

日本復活だけでなく、人類の復活は、日本(ヤマト)の皆さんにかかっているのです。



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