熊とメシヤ
- yamato-567
- 2020年10月17日
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熊姓は、大陸での古代王族の姓でありますが、大元は、海に沈んだ比日仁育(一字で熊、ヒラヱプラ)という、太古の私たちの祖先の島の名です。 熊本はもちろん、芳三山の二ノ岳も熊山です。 猿田彦の熊野宮、元々は日本人が先住者でありました韓半島の都も熊津です。 ところが、菊池の都の隈府、元々の熊本城の隈本城のように、隈となぜ記すのでしょう。 それは、神武天皇のご幼名の狭野尊で示されますように、隈は>の端、芒であり禾である、二天が一流(大和)となる何かなのです。 親神との一体の和霊(タルムスビ、祭り)、人と人の一体の幸霊(タマツメムスビ、政り)の方向を示しています。 私は大和(やまと)というグループを立ち上げておりますが、なぜ日本(ヤマト)でもあるのかは、霊(タカミムスビ)令(カミムスビ)の和である霊の元(日の本)を示しているからです。 霊(忌部)を科学して修めるもの、令(物部)を科学して修めるものにも、実は、日の本は、到達できない何かです。 その気づきの鍵は、捉えたという表現ではなく、示すという表現であり、何かという表現であるという事です。 それはまた、示シ家(〆シヤ)の矢的(ヤマト)であり、油(火の元)を注がれる、メシヤの祈り(意乗り)そのものです。
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