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yamato-567

殺さずの剣~戈を止める武の道

京都御所護衛の数千人もの総監を勤めた宮部鼎蔵。

るろうに剣心の師として知られる人ですが、本当に強くなければ、殺さずの剣などは使えません。

おそれながら察しますに、宮部が総監でありましたのは、天皇のお御心でもあったのでしょう。

そして、殺さずの剣の背景には、相手に致命傷を与えずマイッタを言わせる柔術があったのだと思います。

ところで、宮部が生まれ育った三鳥川(緑川)を上りますとヤマト町の山下泰裕氏、下りますと川尻町の木村政彦となります。

三鳥丸とは鷹の名でありますが、その元は、古今伝授の三鳥であり、兄弟喧嘩の当事者の目からでなく、高く深い、親の視点で観る目でもあります。

ですから、ほんとうに強い人は、優しいのです。

木村政彦は、いつも真剣勝負を避けていましたが、エリオ・グレイシーという柔術家のたっての希望で、骨を折るかも知れないと申しながら、仕方なく受けたのです。

万人満員のアウェーの中、エリオがマイッタをしなかったため、エリオの骨が折れました。

戈を止める武の道が、日本精神を教えてくれます。

奇しくも、少年木村政彦が、家族の暮らしを支えるため、無我夢中で川砂利を積んでいた場所が、今の私の寝室です。




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