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武力の必要性と恒久平和への道

  • yamato-567
  • 2020年9月30日
  • 読了時間: 3分

これまでの歴史上の国で、今の日本に近い国はと問われますと、カルタゴと答えます。

カルタゴは、財力としましては豊かな国で、国の防衛は、他国の兵を雇い、隣国のローマには、平和的友好を守るため、金銭面での援助をしていました。

ところが、そのローマに攻められ、外国の兵は逃げ出し、国民は虐殺されたのです。

カルタゴでは、愛と平和な時代の文化も盛んで、施しができるほどの国民の民度も高かったのですが、その贅沢が、近隣諸国民の労働により成り立ち、愛と平和を訴える前に、そのすべての搾取した財をよこせと、なったのだと察します。

ところで、なぜ、崇高な理念の日本国憲法を守ろうとしないのかと、ご質問を受けます。

まず、その憲法は、近隣諸国には、履行する義務はありません。

そして何よりも、各家庭では財産が守られ、家にも鍵がかけられている事が、憲法の理念が、あくまでも理想論であって、現実ではない事を証明いたします。

現実的でない政治など、政治と呼べるものではありません。

国として体を成すには、まず、第一義的に、国民の生命と財産を守るという憲法が優先されて当然であり、それを脅かす条項がありますならば、それこそが、憲法違反という事です。

しかしながら、そればかりでは、恒久平和を諦めねばなりません。

先日も相撲の話をいたしましたが、私たちの祖先は、戈(戦争)を止める手段としまして、弋止の武というものに挑戦いたして参りました。

現実的な稽古(訓練)としましては、相撲で最も重要でありますのは、他者への尊重と配慮です。

そして、かばい手といわれる反射神経を鍛えます。

それは、人が生きていくうえで、自らが死のうと考えましても、生かそうとする反射神経に習うという事です。

その仕組みは、他者にも同じように働いていて、それを遮る事は、自らも生かされている力に刃向かう事です。

この理解と鍛錬が、いじめを小さくする事に繋がると考えています。

ところが、それでも襲われた場合、生かされている自らを捨てる事も、やはり、生かされている力に反します。

相撲には、政治的宗教的力、武力を持つものが、神事という形で、その生かされている力に、生かされている私は、同じように生かしておられる、弱い者いじめをしていませんかと、神に感謝と誓いを立ててきたのです。

最後に申しあげておきたい事は、平和を訴える私の意見は正しい、あなたの意見はおかしいというその想いに、すでに戦争の種が撒かれているという事です。

なぜ、日本人は、神事を大切にしてきたかと申しますと、対立している相方を、同時に生かしている力に習う事が、平和持続の良法だと考えてきたからです。

またそれは、世界一長く続いている日本の王朝、それが神事によって成されてきたという歴史的事実です。

またそれは、私たち子孫の幸を案じ、伝えられてきた事なのです。

私は、未熟者でありますが、自らの意見を押し付けたいわけでなく、皆さんの祖先の願い、考えを、少しでも率直に、皆さんに紹介できるように努めております。

写真は、皆が相する同じ巣にいる雛鳥だという示しの、タカミ産巣日の神と、カミ産巣日の神です。



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