今の世界宗教の現状を喩えますと、家族で食事に出かけ、兄弟でメニュー表をめぐって争っているようなものです。 長兄は、俺のメニュー表は父から受け継いだ正統なものだと主張し、次兄は、他の兄弟の支持を一番得ているメニュー表だと、互いに争い譲りません。 家族の食事の場で、何が最も大事なのかを察しますと、長兄と次兄の争いと、主義主張が本末転倒である事がわかります。 なぜ本末転倒になるのかは、父母(親神)に向き合っていないからです。 神に向き合っていないからこそ、覇権(より立派な教え、より多くの信者の獲得)に右往左往なさるのです。 日本(ヤマト)にも、隙あらば信者にしようという思いのお方もおられますが、まずはごゆっくりと、日本(ヤマト)に出されているお食事をお楽しみ下さい。 写真は、三島由紀夫が奉じた、熊本の芳山の麓の、天明の新開大神宮です。 ここで神官を勤めた太田黒伴雄は、自らの願いを申し述べるのではなく、神の願いを授かる宇気比をしていました。 最後となりました神風連出陣の宇気比は、二度とも、許可の神意は降りませんでした。 それでも三度目に許可が降りましたが、子を死なせたくない親と、親の願いを知りながら死に逝く子の、親子の心情はいかばかりであったのでしょう。
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