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日本のずっと南にあったとされる祖先の島は、関東と似た環境だったと思われます

  • yamato-567
  • 2020年10月6日
  • 読了時間: 2分

実は、貝塚遺跡は、貝が豊富な熊本より、東京湾で多く出土しています。

それは、迦那人が住み着く環境があったという事です。

実際に、熊本を出た火の君は、常陸の国の伝説(南家藤原が坂口のプロフィール写真の鰐洞を調査したきっかけ)でもあり、埼玉は、いつも説明しております幸魂として知られています。

また、千葉は落磁場で、滝沢馬琴の南総里見八犬伝の元も、熊本(球磨)の口伝です。

そして、関東の地下には膨大なガス田があり、この状況は、13000年前の那日ムス比日仁育の状況と全く同じです。

皆さま方には、300mを超える津波など、ご想像も及ばれないでしょうが、私は、この津波は、ガス田にも関係していると見ています。

それで多くの民は、海で水死で死ぬ事などありえない海人だったのですけれど、お亡くなりになられています。

そこで、坂口の祖先が助かったわけは、直感と科学的検知と、啓示を信じたからです。

写真は、13000年前の大津波から逃れ着いたクブレの海岸と、最近、2万年前のピラミッドではないかと話題になりました、グヌンバタン遺跡です。

面白いのは、その山と流れ着いた故郷のゴォーロの山が、形や石積みが似ているという事です。

そのゴォーロの山の365mの頂上に実家の畑はあり、大楠と巨石に抱かせて、蜜柑小屋が建てられています。

もちろん、雨水を利用した貯水も、昔からあります。

坂口自身、長男は茨城、次女は東京におりますが、逃げようなどと考えておりません。

ただ、津波のエネルギーとなる、想いを干らす戦いをしておりますので、24時間、皆さま方には苦言を申しあげております。

FBを始めるに当たり、亀石(水瓶、アクエリアス)に青龍(鶴)が巻く写真が撮れましたのは、鶴は津波を留める津留だからです。

また、大津波が明けた事を知らせる鶴の葉(安全な環境になってから新芽を出す習性の植物)で正月を迎えますのも、大津波を忘れないためです。

写真は、流れ着いたクブレの海岸と、ゴォーロの山と、私たち日本人の祖先の島々の一部ではないかと考えています、グヌンバタン遺跡です。



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