浅間(阿蘇熊が訛った当て字)の富士が、なぜにフジなのかは、熊(比日仁育)から考えますと、比日いていく隈<、その逆の二天一流(不二)と結んでいく隈>は不二だからです。
不二とは、見るものと見られるものは同じ(同田貫)という意味です。
なぜかと申しますと、親神の日が当たっているあなた様から延びた影は、あなたの好き嫌いは関係なく、あなた様の映しなわけです。
その見るものが見られるものである事を不二と表現して、富士を当て字としたのだと考えています。
また、富士の不死という意味は、あなた様が、親神の日を受けて反射している存在(月)だという事です。
これを日月の示しと申します。
それはまた、日月の示しが得心された時、好き嫌いに分ける分別(善悪を知る木の実)は消え失せて、不二(富士)と晴れるのです。
さらには、神道で藤(紫)色が使われ、筑紫という表現は、この不二である日月の示しを忘れないためです。
写真は、芳山頂上の日月の龍燈です。
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