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愛や平和という逃げ道を造らず、事実から目を逸らさない事

  • yamato-567
  • 2020年10月11日
  • 読了時間: 1分

当たり前の、その当たりの前(影)を、よくよく観察いたしますと、いついかなる場所でも、必ず光が当たり、影が延びています。

それは、私たちの祖先が、旗にして掲げ、ずっと申し伝えてきた日足の事です。

そして、日足は、あなたご自身(日の宮)の証しです。

あなたがいらっしゃる所、必ず世界(日足)がありますのは、あなた様が、光が当てられている存在だからです。

それは、地獄の果てでも同じです。

それなのに、何をお疑いになるのでしょう。

幼きものを、どうか試みにあわせないで下さいという要求も、幸を祈る言葉さえも、いらないのではないですか。

また、平和でないから平和という言葉もありますし、愛でないから、愛という言葉もあります。

真実は、あなた様が光が当てられる存在だから、その光(言)延びにより、世界(日足)は誕生しているという事実だけです。

その事実の得心なくして、どのように愛の物語を好き嫌いで組み立て、これが愛だと示しましょうが、それは事実ではなく、思考に貼り付けた虚実でしかありません。



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