意志という、神の子の能力(四能、熊)、尊厳
- yamato-567
- 2021年3月3日
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時計の中の数文字は、6が下です。
その6(666)の蕾から花ビラが比日いて、369となりますのは、下向きの逆さの花です。
古の教え(枯木)を復活させるには、皆さんが、下(非実在)と認識しておられるものを、上(実在)と認識し直す、すなわち、逆(咲か)す事が大事なのです。
体主霊従(非実在を主人としている認識)である以上、花坂(坂口の屋号)の申しているお伽噺(お解き)は、頭がいかれたものの空言にしか聞こえないのだと察します。
本当に空(神日)言ではありますが。
ところで、人には、意志という、神の子の能力(四能、熊)、尊厳があり、それを、イエスやシャカが犯して、人を救う事など無理な事です。
イエスを信じた方々と申しますのは、イエスの教えで、これまでの自らの認識を、角力(す舞い、相撲の元の呼び名、ひっくり返し)された方々です。
これまでの末を実(法)とした認識を終わらせるから、終末なのです。
イエスやシャカが、あなたの代わりに、あなたの認識をひっくり返すのなら、あなたは、意志を持たないロボットです。
この意味は、なぜ、神が実在であるなら、この世界をお救いになられないのですかの問いの、解答でもあります。
ただ単に、イエスを信じたから救われるのであれば、堕落するおそれがなくなるわけではなく、幾世も、再臨のイエスとセットで、生まれてこなければなりません。
そこには、神の子の尊厳の意志もない、神のゲームの中の、ひとこまの道具の、私でしかありません。
その再臨のシステムこそ、支配のための教えであったのです。
認識を逆しますと、罪にうちひしがれるあなたではなく、生かされている、最初から許しも許さないもない、あなたが、在るはずです。
それは、坂口には、坂口を崇めになられても、気づきの保障はできませんので、あなた自らで、バッテン(無知の知、否定)から、灰(Yes、是)を証明なされてください。

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