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幽界が、地獄となり逝く悲しみは、人の身勝手であり、命への不遜

  • yamato-567
  • 2021年3月4日
  • 読了時間: 1分

現れのこの世界は、一方では、消え逝く世界です。

そして、その映像の基点は、鏡面でありますので、ツクヨミの太陽は、現す太陽であり、消す太陽となります。

この世を建築現場としますと、幽世は、資材倉庫と、廃材置き場を合わせ持っているとも申せます。

現れの世の基点でありますので、その資材が運ばれる前に予言も可能なわけですが、その多くが、廃材置き場を見ての、世界人類が未曾有の災いを受けるであろう予言となってしまいます。

すぅずぅうと現れ、うぅずぅすと消えて逝く、うちゅう世界のその基点を、お伽噺では、すずめのお宿で表現しています。

葛籠からは、妖怪や化け物が出て来ますのは、廃材の浄化システム(言霊の命の舌、残された命)を切断したためです。

全うに死なすはたらき(順送りで消す太陽)も、大事なのです。

ところが、建つはずであったものを壊し(殺し)ますと、その廃材の処理は混乱いたします。

幽界が、地獄となり逝く悲しみは、人の身勝手であり、命への不遜です。

そして、いかなる魂も、その後始末を背負いに来るのです。

そういう意味で申しますと、平等でありますが、神が罰するのではなく、自ら参るというのがミソです。

したきり雀の、雀のお宿(八戸、禰)の写真はお借りしています。



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