天国も地獄も同じ輪廻(不事実の想念)の墓場
溺れている時に、一時的な安定のために浮き袋(念の定め)に捕まる時も必要ですが、天にまします我らが父よと、思考に貼り付けた観念(偶像)にわざわざ意乗る必要はありません。 いつも申しています通り、息を止めようにもその意志に反して、肉体が息苦しさで知らせ、息をさせようとする生かすはたらき、その事実だけに注目して(気づいて)いればよいわけです。 もしくは、悪ゴロであろうとしましても、その意志に反して、良心(聖霊)の息苦しさで知らせ、全きものであろうとする、その事実に気づいていればよいわけです。 ところで、釈迦が天国も輪廻転生の一つにあげましたのは、地獄と同じ念(想念)の墓場であり、たとえ霊体でありましても、生きている神を体現しているものではないからです。
Comments