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坂本龍馬の師~五箇条御誓文、皇室典範、大日本国帝国憲法、教育勅語の源流

  • yamato-567
  • 2020年10月10日
  • 読了時間: 2分

開国か攘夷か。

その同じ勤王の志士がぶつかる戦の中で、開国の論者の中にいながら、戦争へと導かれる西洋の自利至上主義の仕組みを暴き、幕府から明治政府の要人に至るまで、日本国家の青写真を両極に伝えた方が、平時存こと横井小楠です。

いわずと知れた坂本龍馬の師匠です。

龍馬も、今回の熊本地震の震源地に近い、沼山津の四時軒で学び、船中八策などの龍馬の政策ともいえるものは、小楠の教えが元です。

大日本帝国憲法の井上毅や、教育勅語の元田永孚も四時軒で学んでいます。

長州征伐の件で龍馬と意見がぶつかりますが、小楠がみていた夢は、西洋が日本の思想にふれ、植民地支配の愚かさ、自らが悲しい事に気づく、その壮大な夢であったのだと察します。

まさに政事を論じながら、論や徒党の枠組みを越えていた方です。

ラストサムライである神風連の矢は、宮部やるろうに剣心のように、長州の中にも、小楠のように、幕閣の中にも、その両極の中にあったのです。

西洋を知るため、キリスト教を学ぼうとしていた事が暗殺の引き金となりました。

明治新政府の参事として日本の舵取りを任せられた矢先の事でした。

その暗殺は、西郷への暗殺計画へと続き、西南の変が終わると、西洋のまね事の日本へと、変貌して逝くのです。

時々、小楠公園で居眠りしているおじさんは私です。



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