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国も自身も滅ぼす、誤った祈り

  • yamato-567
  • 2020年10月19日
  • 読了時間: 2分

今の日本は、つい近年まで続けられてきた、雨宮の神事には目は向けられなくなり、表面の個人的な御利益しか関心がない、世相となり果てました。

パワースポットが悪いとは申しませんが、願いが叶うという事と裏腹に、人の欲には際限がなく、コントロールできないその想いが、身己(弥呼)に災いを呼ぶエネルギーとなっています。

そして、それまで、想念(鯰)を禊ぎ鎮めていた神社が、鯰を暴れさせる神社へと変貌してきているのです。

ところで、古代の天神である北極星は、干ばつに備えて、水を溜める水瓶としての亀であり、北斗七星は、洪水に備えて、津波を留める津留としての鶴でありました。

ですから、水を汲む柄杓星と呼ばれていたのですが、その技合いを災いといたしますのも、人々の想いによるものです。

その想いを送る、祈りというものがいかなるものかを、よくよく考えなければなりません。

その教訓として、皆さん方がよくご存知なのは、戦時の日本では、国民総意で、鬼畜米英への勝利が祈られました。

そして、〆シ家の警告も聞き入れられず、その子(祖父)を、二度、皆さん方もお知りになる大きな軍港がある二つの他県から、玉砕の島へお送りになられました〟

そこで、祈りが聞き入れられ、誰かを滅ぼす神でありますのなら、その神は、いずれ、誰かの祈りが聞き入れられ、私もあなたも滅ぼす神でしょう。

私たちは今、想いを宣リ(乗り)出す、これまでの方向性を見極めなければならない、瀬戸際に立っています。

その際たるお知らせとしまして、大嘗祭の神殿の屋根の茅葺きが亡くされました。

写真は、いつも載せています、拝ヶ石巨石群の鏡石に刻まれた柄杓星です。

禊ぎのエネルギーが、だんだん弱くなっている事に、すでに気づいておられる方もおいででしょう。



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