三度の死亡届けと葬儀という、稀な人生を歩んだ祖父ですが、稼ぐという観念がなく、何をするにも、亀石の屋号と同じく、のろまな亀でした。
そんな中、蜜柑の収穫時に手伝いに来てくださっていた錦、一武の丸目千之介さんは、祖父と会うのを楽しみにされていました。
少年の頃の私は、ただ強くなりたいの一心で、武道の奥義というものを知りたかったので、千之介さんにいろいろお聞きしたのです。
ただ、いつも笑っておいでで、質問をはぐらかしておいででした。
ある年、差し入れの魚を捌くのを忘れ、しかも、山の頂上近くの畑からは遠い、自宅に忘れてきた母が、祖父に、家で捌いて畑まで持ってきてくれるように頼もうとしましたら、祖父は、サボっているのか、お客さんも早くから働いてくださっているのに、朝から、畑に来てもいないのです。
携帯電話などなかった時代です。
家長がいない事は、申し訳なく、仕方がないので、私が呼びに行こうとしましたら、ちょうどのタイミングで祖父が来ました。
祖父は、魚の刺身を持ってきていました。
他にも、私たちがゴォーロの蜜柑畑へ出た後に、お客さんにどうぞという事で、近所の肉屋さんが、馬刺しを持ってきてくださっていました。
そのご好意をも、持って来る事ができたのです。
千之介さんは、奥義はこれだと、笑いながら私の肩をたたかれました。
写真は、祖父と漁に出ていた、有明の海です。
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