祖父は、神輿来の、寄せては翻す不知火の海は、神の息に自然と習う、学校だと申しておりました。 いつも、顔を拭くにも手は潟まみれで、必死に貝の息穴を掘り起こしていた私には、何の事やらでしたが、ある時、自宅で見ていたデビルマンのエンディングソングを、人の世に愛がある、人の世に夢がある・・・と口ずさんでいましたら、それだ、神輿来海岸が歌っとると、祖父は唐突に申したのです。 ところで、その熊本の不知火の海から、兵庫の高砂へ舟で渡った歌が、皆さま方がご存じの能や、結婚式で歌われる歌です。 高砂や この浦舟に帆を上げて この浦舟に帆を上げて 月もろともに出で潮の 波の淡路の島影や 遠くの鳴尾の沖過ぎて はや住吉に着きにけり、はや住吉に着きにけり この歌は、実は、古事記の上代そのもの(宇宙開闢、人の出自、血統)を歌っているのですが、高砂に着いたワキ(熊本の阿蘇神社の神職)の前に現れたシテ(翁)とツレ(嫗)の老夫婦が、離れていても、住吉と高砂の松のように、相生(あいおい、共に年を取る)のメノト(夫婦)であるという不思議なお伽話を説き、やがて精霊となって姿を消します。 それで、夫婦の歌として、結婚式で謳われるわけですが、このメノト(愛の人)とは、離れているように思えて離れていない、共にある神の正体を証しているのです。 旗(八咫、奏)上げした息子(息女)の息のベースには、生かそうとする神のはたらきがはたらいています。 寄せては翻す高妙の波打ち際に立つ時、その息と血潮(愛の音、メノト)に気づくのです。 ですから、お伽話は、籠目出たしに続けて、愛出たしで〆られます。 写真は、デビルマン(666の不動を明かす名の主人公)と宇土の神輿来海岸です。

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