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南無観世音

  • yamato-567
  • 2021年3月19日
  • 読了時間: 1分

古今伝授を成した肥後細川藩で、宮本武蔵の役職は、武術指南ではなく、お伽衆という、幽斎の子孫として、知識があられるはずのお殿様に、お伽噺などを、お聞かせする役目でした。

その武蔵が修行をした岩戸山で、ちょうど、聖霊の日の彼岸の頃、霊巌洞から見えた山桜の花比曰が散るのを見て、南無観世音と発せられたと伝わります。

見ると観る、世界と世音、そして花ビラが散るというのは、淋しいようですけれども、花ビラが死なないなら、実があるのにも、気づく事はないのです。

そこに生まれて死ぬ、意味があります。

ところが、多くの方々は、散って逝く花ビラの存続(永遠の命)にしか、関心(注意)があられないのです。

それで、その執着を達観するために、死んだように生き、生きているように死ぬ復活の修行が、岩戸山では行じられて参りました。

写真は、岩戸山のパンフレットの写しです。



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