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初まるもの、終わるものではない何か

  • yamato-567
  • 2021年3月3日
  • 読了時間: 3分

古神道の挑の実の養成には、幾つかの意味がありますが、百々の民(五色人)族を錦織りなす、百々の統合を割らずに、大和の能力がありますのが、日本人という事です。(熊本山都(蘇陽)の幣立神宮には五色人祭があります。)

ただ、今の世は、すでに桃の実が割れて、あちらこちらで、お互いに相手を悪として、鬼退治が始まっています。

ところで、岩戸山で記された五輪書は、世界各国で翻訳され、世界のロングベストセラーだそうですが、それでも、最も読まれる聖書の比ではありません。

その聖書の謎解きが、世界人類の大調和(やまと)の第一歩となります。

神道の方が、坂口の聖書の話は、飛ばして読んでますとおっしゃいますが、神道にご縁があられたからこそ、聖書をお読みくださればと思います。

ところで、日本の西海岸の鰐洞から岩戸山へ登った方々は、聖書の謎、例えば、初めに言葉ありき、言葉は神なりき、など、そこからは、初めに神があるから言葉があるのではないかという疑問が湧くと思いますが、黙示録の、私は初めであり終わりであると大神が示された話を、雨(アメン)と雲に意乗りひっくり返して逆さに読みますと、初まるもの、終わるものではない何かが、大神であるという話になります。

私の実在も、初まるもの、終わるものではない何か、となります。

ヨーロッパで特に読まれている五輪書の聖地として、岩戸山へは、今や、日本人より、外国の方の観光が多くなりました。

彼の方々は、知らずと日本の神道にお触れになり、聖書の謎解きに、一歩、足を踏み入れておいでです。

私たち日本人にとりましては、古今の巻第七(黙示録の七つ目の封印を伽く巻物)の国歌君が代もそうですが、古今の歌詠みの謎が大事です。

それは、教えとしましては、古事記より遥か昔にあるものですが、肥人書(球磨人の言葉)を翻訳された、宇宙開闢の古事記の解説書でもあります。

それは、そのまま、聖書の創世記の解説という事でもあります。

ところが、初めの言葉、刀(カタカムナ)を示すと書きますが、その、十字縄文螺旋回転の、す声(寿、言吹き)、といいますのが、日本語を理解していないと解らないという事です。

それで、日本語がおわかりの皆さんは、とても恵まれておいでなのです。

また、ヤウマト(大和)の民は、神の初子と記されるわけです。

話は戻りますが、す声は、すぅずぅうと言延びして、う声のう中うの誕生となります。

それで、神社では、末からではなく本からの示しとして、鈴宇(本坪)を振るわけです。

さらには、すぅずぅうは、成人(鳴門)の渦巻き(うぅずぅす)の宇津女(鈿の田は神であるサ、金は伽那であり合わせて逆那、熊本弁で蘇りの魚は〆シンシャー、豊、ユタヤ)の舞として返されます。

写真は、岩戸山の縄文螺旋回転の渦巻きですが、ただの渦巻きではなく、雲のように膨らみがありますのは、本殿の神鏡である、あなたの私(実在)の息乗り(息長、コケムス)を示しています。

余談ではありますが、坂口は、皆さんの事を証しする示シ家(供え物、シャー)の役目としまして、岩戸山の山ももの木の下で祈っていた、球磨人の母の胎に宿りました。



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